おのしゅうのブログ

旧タイトル 注釈の多いオノマトペ

綾瀬駅から綾瀬市へ 後編

中編から続く


田園都市線に乗ってしまったわたしの頭の中はぐちゃぐちゃだった。
頭の中を天使と悪魔が、というか色々な悪魔たちがやいやい語りかけてきた。
悪魔A「別に1日で歩ききる必要もないんだから、また日を改めて梶が谷駅から綾瀬市を目指そう。」
悪魔B「ここまでよく歩いたんだから、今日はこのまま家に帰っちゃおう。」
悪魔C「いやいやとりあえず今日綾瀬市まで行こう。このまま終点の中央林間駅まで乗っていってそこからバスに乗っちゃおう。タクシーでもいいよね!」
悪魔D「っていうかそもそも綾瀬駅から綾瀬市に行く意味なんか特にないよね?」
色々な悪魔がいたが、梶が谷駅から電車に乗ってしまったわたしを責めるものはなかった。
そうなのだ。悪魔は必ず優しくほほえみながら近づいてくるのだ。


途中の「すずかけ台駅」で電車から降りたのはそんなマイナス方向へ向かう自分の感情へのせめてもの抵抗だったのかもしれない。
すずかけ台駅梶が谷駅から13駅目で、この間およそ15kmほど電車に乗ってしまった計算になるようだ。


降りた駅が「すずかけ台駅」だったことに深い意味はなかった。ただ、暗くなっていく空を眺めながら「このまま終点までこの電車に乗っているわけにはいかない」と胸が苦しくなり、痛む足をひきすり衝動的に電車から降りたのだった。


すずかけ台駅に降り立ったわたしはあるひとつのことに気がついた。
電車に乗った梶が谷駅は神奈川県だったが、この降りたったすずかけ台駅は東京都なのだ。

東京都の町田市が神奈川県の北部をえぐるように存在していて、すずかけ台駅はそのえぐっている部分にあるのだ。


今回の目的は東京都の「綾瀬駅」から神奈川県の綾瀬市まで歩くことだった。
綾瀬駅」は東京都なのだ。
逆もまた真なり。つまり東京都は綾瀬駅なのだ。
ということは東京都にあるすずかけ台駅から綾瀬市まで歩けば、それはすなわち綾瀬駅から綾瀬市まで歩いたことになるではないか!


と、いう壮大な言い訳を思いつき、わたしはここからふたたび綾瀬市を目指すことを決意した。
日中の穏やかな陽気とはうってかわり、激しく冷たい風が吹き荒れた。
だがそんな風も、逆にわたしの決意を後押ししてくれているように感じた。


強引な詭弁なのはわかっている。
今回の「綾瀬駅」から綾瀬市へ『徒歩で』行くとうプロジェクトは不達に終わってしまった。
いまさら綾瀬市にたどり着いたところで、目的は果たせなかったことになる。
いまから綾瀬市を目指しても、本当は無意味なのだ。
だがしかし、だからこそ、行くのだ。綾瀬へ。
途中電車に乗っちゃったとか、そんなことはもはやどうでもいいのだ。
もっと恐ろしく大きいもののために、とにかくわたしは綾瀬市に行かなくてはならないのだ。


 ふたたび、神奈川県に入った。

この時点で、足は引きずるようにしか動かなくなり
靴紐を結び直すために一度しゃがんだら再び起き上がるのに難儀するほどの痛みに襲われていた。
一度でも立ち止まったら終わりなのでゆっくりでも止まらずに歩き続ける。




見える。青看板に綾瀬という文字が見える。
青看板は行き交う車のヘッドライトを浴びてキラキラ光っている。
「綾瀬」という文字を見るのは実に11時間ぶりのことである。
たしかにわたしの向かう先には綾瀬があるのだ。



 

小田急線の鶴間駅の脇を抜けた。相鉄の線路も越えた。もう駅や電車などは目に入らなかった。
そうなのだ。綾瀬市に行くのに小田急も相鉄も必要などないのだ!
綾瀬駅(と、ほんの少しの東急田園都市線)があれば綾瀬市に行くことができるのだ!


それにしても、『綾瀬駅梶が谷駅 30km』 よりも、『すずかけ台駅綾瀬市 11km』 の方が、断然長く感じる。
距離的には三分の一のはずなのだが、体感的にはむしろ3倍くらいに感じる。
ひょっとすると、これが相対性というものなのか。
綾瀬市への道の途中で、特殊相対性理論の深淵に触れることができようとは思ってもみなかった。
それともやはりタヌキか何かに化かされているのだろうか。



ボロボロになりながらすずかけ台駅をでてから約3時間、綾瀬市への市境の付近だと思われる場所が近づいてきた。
市境は住宅街のど真ん中なので、どこからが綾瀬市なのかよく分からない。


角をまがるとひとつのカーブミラーが目に入った。

そのカーブミラーを見てみると、

着いた。綾瀬市だ。綾瀬駅から綾瀬市に(途中で多少電車には乗ったが)着くことができた。
綾瀬駅綾瀬市が徒歩(と電車)でつながった。


ここは綾瀬だった。むせかえるほどに綾瀬だ。
東名高速に燦然と輝く「緑あふれるまちあやせ」
綾瀬市立北の台小学校
神奈川県立綾瀬高等学校


綾瀬市中心部に向かい最後の気力を振り絞って歩く。
すると遠くの方で輝く何かが見えてきた。


あれは・・・天竺か。



いや、綾瀬市の商業施設の雄、綾瀬タウンヒルズだ。


それにしてもなんと神々しく美しい建物であろうか。


綾瀬タウンヒルズのはす向かいに綾瀬市役所がある。そこをゴールとした。

日曜日の21時過ぎなので、あたりは静寂に包まれている。


ふたたび綾瀬タウンヒルズ前に戻った。バスがもうすぐ来るようだ。

このバスは海老名駅行きだった。海老名駅は相鉄と小田急の駅だ。
そうなのだ。海老名駅行きのバスは結構多いのだ。
他にも小田急線の長後駅藤沢市)からバスで行くこともできるし、相鉄のさがみ野駅(海老名市)へもバスが出ている。
ちょっと頑張れば歩くことだってできる。


綾瀬市に駅がなくても綾瀬市の周りは、海老名市が、大和市が、座間市が、藤沢市があるのだ。
なにも56km離れたただ名前が同じだけの駅などを頼ることなどなかったのだ。
隣人同士、手を取り合っていけばいいのだ。


そんな神奈川県の連帯に気づかせてくれた、56km(うち電車15km)の道のりだった。