神奈川縦断 徒歩の旅 まとめ版 「後編」
前回の「戦略的撤退」から、一ヶ月以上の時を経た、平成22年3月14日。
わたしはまた、『引地橋』(引地川のフラッグブリッジ)に帰ってきました。
ここから川下に向かって歩いていけば、1時間弱で海にでることができます。
風はやや強く、日差しは暖かでした。
この川沿いの道は、ウォーキングをされているかたが目立ちます。
ウォーキング愛好会風の集団がお揃いの帽子で歩いていました。
わたしの少し前を歩いている、オバサマがたが『引地川』の名称について
以下のような会話をされていました。
オバサンA「この川は『ヒキジガワ』(合っている)って名前だっけ?」
オバサンB「違うよ、『ヒジキガワ』(間違ってる)だよ!」
オバサンA「あらそう『ヒジキガワ』(間違ってる)と言うんだねぇ。」
情報の正しさではなく、「声の大きい方」の意見が通ってしまう、
現代社会の構造的問題をかいま見たような気がしました。
注)『引地川』の名称は、
「ヒキチカワ」
「ヒキチガワ」
「ヒキジガワ」
「ヒキジカワ」
等の若干の『発音の揺れ』はあるものの
『ひじき』はあきらかな誤りです。
昨年末、カヌーを出艇した「日の出橋」を通り過ぎます。
【11:10】【「引地橋」から3.0km】
海はもう間近です。
このあたりは、言ってみれば『地元』で、
かつ、歩き初めなのでまったく疲れてもいません。
そのため、ともすれば
「おだやかな陽気に誘われて、その辺を散歩にきた」
というようなお気楽な気持ちになりがちです。そこを、
「いやいやこれは『神奈川縦断』という壮大な目標のための意義ある歩みなのだ。」
と、自分にいい聞かせながら歩いていきます。
そうこうしているうちに海にでました。
引地川の河口です。相模湾に注いでいます。
仰ぎ見れば「緑の江ノ島」
ふり返れば「ピンクなタテモノ」
[ ]
このあたりは多いのです。
「江ノ島」をながめて、なんとなくこれで「ひと仕事終えた」ような心持ちになってしまいましたが
この時点では、まだ全行程の1/10程度しか来ていないのです。
旅はまだはじまったばかりです。
しばらくは、右手に「海・江ノ島」(松林に遮られることもしばしば)
左手に「ピンク・ファミレス」
を眺めながら、国道134号を歩いていきます。
「新江ノ島水族館」を越え、
江ノ島へ渡る橋(江ノ島大橋、及び弁天橋)の手前で
『境川』を渡ります。
【11:50】【「引地橋から」6.0km】
そう言えば、この旅は
「町田駅」(東京都)付近の境川沿いから始まったのでした。
一度は別れた『境川』とここで感動の再開を果たすことが出来ました。
思えば遠くへ来たものです。
(ちなみに小田急線を使えば、我が家から「町田」へは300円 「片瀬江ノ島」へは180円で行けます)
それにしてもこの辺りはいつも混んでいます。
特に若い(10代)カップルが多く、
わたしのような男性おひとり様は圧倒的マイノリティとなります。
江ノ島界隈は、「お金はないけどヒマはある」
という若年層(10代)のカップルなどが、(10代のくせに)横浜の「山下公園」と並んで
なんとなく、よく訪れる場所でもあるのです。(10代の分際で)
朗らかではつらつとした男女、または明るく平和な家族連れなどに囲まれて
なんとなく恥ずかしいような心持ちになってしまいました。
わたしもいい歳をして、こんなすばらしい陽気の日曜日の午前11時半に
うつむき加減で歩いているのはどうかなあ、とも思うのです。
だから、この追加分を歩くにあたり、何人かのかたを再び誘ってみたのです。
しかし、
「だからそれ何が面白いの?」
と、やはり真っ当なことを言われるばかりで、結局またひとりで歩くことになりました。
別にいいんです。
男はひとり道をゆくのです。
「江ノ島東浜」はヨットで賑わっていました。
この方角に、目指す『城ヶ島』があるはずですが、
霞んでいてよくわかりません。
まだまだ道半ばです。
【12:20】【「引地橋から」7.2km】
余談ですが、
『藤沢→鎌倉』
東海道+横須賀線 運賃¥190- 所要時間15~20分
江の電 運賃¥290- 所要時間34分
ちなみに「腰越駅」のあたりの線路はこんな感じです。
「腰越駅」の隣は「鎌倉高校前駅」です。
「鎌倉高校前駅」は関東の駅百選に選ばれた無人駅で、目の前が海です。
【12:30】【「引地橋」から8.0km】
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「鎌倉高校前駅」にありがちなアングルの写真。
ここからしばらくは、右手に「海」左手に「江の電」という道を進みます。
かの「新田義貞」が「鎌倉攻め」の際、
海に刀を投げ入れたとの伝承がある『稲村ケ崎』が見えてきました。
【13:00】【「引地橋」から10.0km】
「江ノ島」もずいぶん遠くになりました。ここまでそれなりに歩きました。
「稲村ケ崎」も過ぎ去り、歩みを進めていたわたしに
ひとつの分岐点が訪れました。
滑川交差点です。
ゴールの「城ヶ島」に行くためには、ここを直進します。
この時点ですでに午後一時半。
休み無しで歩いても「城ヶ島」到着は、午後7時を過ぎるくらいの見通しです。
しかし、ここを左に曲がると「鶴岡八幡宮」があるのです。
「鶴岡八幡宮」に寄り道すると往復で一時間程度はかかってしまいます。
そのような時間的・体力的余裕はそんなにないのですが、
ご承知のごとく、先日「鶴岡八幡宮」の「大銀杏」が倒れた、とのニュースがありました。
それをちょっと見たくなってしまったのです。
少し考えましたが、一時間程度のロスを覚悟で八幡宮に参拝することにしました。
【13:50】【「引地橋」から13.0km(+寄り道1.0km)】
人ごみを抜け、鶴岡八幡宮に到着しました。
【14:00】【「引地橋」から13.0km(+寄り道2.0km)】
『大銀杏』があった場所は、
柵で閉め出されていて近づくことができず、なんだかよくわかりません。
輪切りのような、かつて「大銀杏」だったものが遠くに見えます。
クレーン車が何かしらの作業を行っていました。
詳しい状況はよくわからないのですが、とにかく
「むかしあった場所に大銀杏がない」
ということだけは、はっきりとわかりました。
「あるべき場所に、あるべきものがない」というのは寂しいものです。
閉め出しの囲いは、白く覆われており、
「大銀杏そのもの」及びそこで行われている作業を間近で見ることはできません。
[ ]
木にかけられた白い布を見て、
一時期ちょっとした話題になった団体を思い出してしまいました。
違和感と喪失感と疲労感と足の痛みを抱えながら、もときた道に戻ります。
感傷的になっている余裕はないのです。
わたしには目指すべき場所があります。
往復一時間の寄り道を終え、国道134号に戻ってきました。
【14:50】【「引地橋」から13.0km(+寄り道4.0km)】
『鎌倉の海』です。
「横須賀線の最終・・・」ではなく、歩いてきました。
とことこ歩いていき、道は少し海からはなれ「逗子市」に入ります。
横須賀線と並んで歩きます。
【15:30】【「引地橋」から17.0km(+寄り道4.0km)】
丘のようなものがありました。
開発計画があるようで、それの反対運動らしきカンバンが立っていました。
固有名詞ならば仕方がないのですが、
『ハゲ山』というネーミングには、もう少しなんとかならなかったのかと思ってしまいます。
【16:30】【「引地橋」から22.0km(+寄り道4.0km)】
ようやく、青カンバンに「城ヶ島」の文字が出てきました。
このとき、16時30分。あと19km。
時速4kmで歩けば、到着は21時をまわります。厳しくなってきました。
御用邸の前にきました。
いつのまにか「葉山町」に入っていたようです。
ここからは「江ノ島」はもう霞んで見えます。
そろそろ足が本格的に重くなってきた頃、「横須賀市」に入りました。
【16:40】【「引地橋」から22.5km(+寄り道4.0km)】
そしてついに日が沈み始めます。
自衛隊の駐屯地についたあたりから、本格的に暗くなり始めて
【17:50】【「引地橋」から29km(+寄り道4.0km)】
[ ]
ゴールの「城ヶ島」がある「三浦市」との市境にたどり着いた時には
暗闇がわたしをつつんでいました。
【18:25】【「引地橋」から32.0km(+寄り道4.0km)】
[ ]
この日、日中は汗をかく程のあたたかさだったのですが、
やはり、まだまだ3月です。
日が落ちるとかなりの寒さを感じるようになってきました。
「寒さ」「疲労」「空腹」の三重苦を抱えながら、
孤独な旅はいよいよ最終局面に入ります。
すっかり日が落ちた道をとぼとぼ歩いていくと、
京急の「三崎口駅」にたどり着きました。
【18:55】【「引地橋」から34.0km(+寄り道4.0km)】
ちなみに、自宅からこの「三崎口駅」までは
電車を使えば1時間30分程で着くことができます。運賃にすると¥850-です。
歩いたら8時間30分かかりました。運賃はかかりません。
ここから「城ヶ島」までは、まだ6km以上あるのです。
この時、19時00分。「城ヶ島」到着は確実に20時を越えてしまいます。
ほんの一瞬、ちらりと
「城ヶ島に行くのはやめて、このまま電車に乗って帰っちゃおうかな」
などという弱気な考えが頭をかすめました。
しかし、わたしには前回(一日目)に江ノ島を、目前に家に帰ってしまったとの苦い過去があります。
二度続けての敵前逃亡は許されません。
いよいよ城ヶ島まで最終決戦です。
ともすれば沈みがちな気持ちをもう一度奮い立たせ、気合いを入れ直します。
「鬼が島」へ向かう桃太郎もかくや、思われる程の強い決意でした。
みんなに「無意味だ」とか「バカみたい」とか「他にやることないの」とか「友達いないの」
などと言われても「そこに城ヶ島がある限り」わたしは行くのです。
男にゃ男の意地があります。
「三崎口駅」を過ぎると道はさらに暗くなります。
夜道に浮かぶ『三浦大根』のカンバンです。
【19:00】【「引地橋」から34.5km(+寄り道4.0km)】
暗闇で見ると、この白地に赤文字は、ホラー映画の題字のようです。
明るかったら大根畑の広がるのどかな風景が見えたのかもしれませんが、
暗かったのでなんだかよくわかりません。
城ヶ島には橋が架かっているのですが、その橋は有料だそうです。
「城ヶ島大橋」の料金の案内です。
夜7時を過ぎている上、徒歩なのでタダです。
料金所です。
【19:50】【「引地橋」から39.5km(+寄り道4.0km)】
果たして『城ヶ島』に到達しました。
【19:55】【「引地橋」から40.0km(+寄り道4.0km)】
「白秋碑前」のバス停をゴールとしました。
【20:00】【「引地橋」から40.2km(+寄り道4.0km)】
バス停の名前からもわかるように、近くに北原白秋の詩碑があるらしいのですが
もはや精魂尽き果てていたのでなかったので探しませんでした。
5分後にバスが来るようでした。
よって「城ヶ島」の滞在時間は、わずかに10数分ということになります。
「来ること」に意義があったのでそれでかまわないのです。
もうあたりは真っ暗なので、周りの眺めは城ヶ島だろうがその辺の道ばただろうが、
もはや、たいしてかわらないという事実もありました。
無事に着いたという安堵感、
震える程の足の痛み、
体の冷え、
砂埃の強風にさらされた瞳(ハードコンタクトを使用)
バスに乗った時、わたしは泣いていました。
乗客はさぞ驚いたことでしょう。
20時過ぎに、周りには人っ子一人いないようなバス停から、しかもおひとり様で、
さめざめと泣きながら、足を引きずって、怪しげな男が乗ってきたのですから。