おのしゅうのブログ

旧タイトル 注釈の多いオノマトペ

三ヶ月前の進水式

いまから三ヶ月前、2009年10月後半の話です。
10月の頭に購入したカヌー(厳密に言うとカヤック)の進水式を、箱根の芦ノ湖で行いました。


当日集まったのは、
H田君(わたしの高校山岳部での友人)
I垣君(H田君の大学探検部の友人)
S田君(H田君・I垣君の大学の友人、大学時代は山岳部所属でこの10日程前まで仕事でヒマラヤに行っていたという生粋の山男)
わたし(当人)
という4名でした。


わたしの自宅に集合した時点で空を厚い雲が覆っており、さらにS田君が
「実は僕は雨男で・・・」
などと言い出し、出発十数分で早くも車中に不穏な空気がただよい始めました。


道中のコンビニでH田君が日本酒を買ってくれました。進水式の際、舟にかけるのですね。
芦ノ湖に到着した時に雲行きがかなり怪しくなっていました。


漁協に出艇料500円を支払い、カヌーの組み立てを始めました。
組み立ては4人で行ったので15分程で終わりました。

しかし、組み上がったまさにその時、ついに雨がぱらついてきてしまいました。


雨のなか、ぼやぼやしていられません。
進水式です。何事も「式」というからには厳粛に行わなければなりません。
まずは、船の命名を行いました。
名前の候補は「くしろ」「ピリカ」「くなしり」「ひきち」「ちゃーりーぶらうん」「うっどすとっく」などいろいろ考えたのですが、
最終的に『あぜがまる』(畦が丸=丹沢山塊の山名)としました。


雨に濡れながら、
「この船を『あぜがまる』と命名するっ。
 続いて、ここにカヌーチーム『まりも』(ちなみに『まりも』のメンバーは未だに会長1名です。会員を募集しています。)
 の発足とわたしの『まりも』初代会長への就任を宣言するっっっ。」
などと四合瓶(船にかける)を片手に大まじめに声を張り上げる私と、それを妙に神妙な顔で見つめる三人。


異常でした。


明るく平和そうな家族連れが、私たちの脇を
「何かいけないものを見てしまった」という顔をしてそそくさと逃げて行きました。


ここは、遊覧船(いわゆる箱根海賊船)の発着場なので
雨降りとはいえども観光客のかたがわんさかいるのでした。


海賊船を眺めながらまたもS田君が、
「あれにぶつかったらひとたまりもないですね」
などまたも縁起でもないことを言っていました。


ちょっとげんなりしましたが、そのままそこに突っ立っていても雨に濡れていくだけなので船をだします。
カヌーは二人乗りなので、まずH君と二人で乗り込み、
I垣君とS田君は釣り船屋の手漕ぎボートを借りました。(一日 ¥3,500-)


顔にあたる雨粒は冷たかったのですが、
湖の水に触れてみると意外に冷たくはなく、むしろ生暖かいと感じる程でした。


そこでH君に
「これなら安心して沈(ちん=舟がひっくり返ること)できるね」
というと
「恐ろしいことを言うんじゃない!」
と、強くたしなめられてしまいました。



カヌーは思ったよりいいスピードで進んで行くのですが
手漕ぎボートは遅々として進みません。
どうしてもカヌーがいくらか進んだ後、手漕ぎボートを待つという形になります。


カヌーは、動いている時にはそれなりの安定感がありますが、
止まっているときはかなり不安定な代物で、加えてここ芦ノ湖
「海賊船」「エンジン付き釣り船」「その他遊覧船」などが頻繁に航行しており
それらが起こす引き波はなかなか激しいものでした。


しょうがないので適当な入り江に上陸し、お昼をとりました。
悪天候とのろいボートに、みな意気消沈してしまいもう戻ることにしました。
帰りは、カヌーに「S田・わたし」
手漕ぎボートに「I垣・H田」という布陣で臨むことになりました。


漕ぎだし10分で手漕ぎボート隊の姿が見えなくなりました。
この分だと、だいぶ先に到着してしまいそうだったので時間調整のため箱根神社に寄り道しました。
ずぶ濡れで観光客だらけの箱根神社に湖から上陸する私たち、工作員にでもなったような心持ちでした。


お参りを済ませ、船に再び乗り込み出艇場所まで戻る我々。
到着はまだまだだろうと思っていた手漕ぎボートの「I垣・H田」組が先に到着していました。


聞けば湖の真ん中で呆然としていた二人を、心優しいエンジン付きの船にのる釣り人が岸まで曳航してくれた、とのことでした。
彼らの表情がよっぽど悲壮に見えたのでしょうか。



この度の進水式で多くの教訓を得た我々、
『次は川だ!!!』を合い言葉にこの一ヶ月後、わたしとI垣氏は真冬の『多摩川』へ旅立つことになるのでした。