人生初の川下りをふりかえる
初めての川下りは今から八年前、釧路川だった。
わたしは探検部という部に所属していた。
大学の部活・サークルの名称はカタカナ及びアルファベット全盛のこの時代に、
『探検部』という漢字三文字の響きはなかなか毅然としていた。
もしこれが「アウトドアアドベンチャーサークル」だかなんだかの名称だったら
きっと入部しなかったと思う。
「探検部」の主な活動は、自転車旅行・無人島探訪・登山・川下り等だった。
無人島は漁船にお願いして訪れた。馬がいた。
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写真は殆ど残っていないが、山もそこそこいった。
いま思い出せる範囲で挙げてみると、
雌阿寒岳・雄阿寒岳・斜里岳・羅臼岳・大雪山・トムラウシ等である。
高校山岳部では技術・体力的にも部内最下位だったわたしが
入部とほぼ同時に「探検部山岳課課長」という役職を拝命してしまった。
・メンバーの技術・体力・装備以上の山には行かない
・敵前逃亡は恥ではない
・死なない
・みんななかよく
以上を、山岳課長としてのモットーとしていた。
山に関しては最低限の知識はあったのだが川下りに関しては全くの素人であった。
探検部の川下りはカヌーではなくゴムボートで行った。
こんなのだった。
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正確に言うとその船の材質はゴムではなく「ビニール」だった。
注意書きに「海や川では使用しないこと」とあった。
古参部員が「大丈夫だよ」といっていたので、わたしも「そんなものなのか」と思っていた。
今思うと実に恐ろしい。
絶対に真似をしないで下さい。
念のためもう一度、「真似をしないで下さい。」死にます。
一年目の夏、初めての川下りを行った。
出発地は屈斜路湖で、下るのはそこから流れ出す釧路川である。
結果から言うと
1人半死半生の目にあい、2人の荷物が川に呑まれ、4艇の船が再起不能となった。
途中からわたしともうひとりが遅れだし、ようやく追いついたと思ったら
その先頭集団はズタボロになっていた。
結局一泊二日の予定を早々に切り上げ、予定ルートの半分もこなせないまま
ほうほうの体で逃げ帰った。
以来、探検部内では「川下り」という言葉はある種のタブーとなり
その後、川に出ることはなかった。
ただわたし自身はそのとき特にひどい目にあったという訳ではないので
「たのしかったな。またいきたいな。」などと考えていた。
そして、その二年後またも釧路川を訪れることになるのである。
(多分)続く