おのしゅうのブログ

旧タイトル 注釈の多いオノマトペ

北埼玉ブルース

今から一年と少し前、当時勤めていた会社を退職する直前の2ヶ月間
北埼玉で仕事をしていたことがあった。


その間、上司(30代後半・独身)とレオパレスワンルームに二人で同居をした。
もともとその上司がいたところに、後からわたしが人員追加という形で送り込まれたので、
その時すでにレオパレスの大部分はその上司に占拠されていた。


そこでわたしは、押し入れに寝袋を敷き2ヶ月の間そこで寝起きをすることになった。
イメージで言うと『ドラえもん』のスタイルが一番近いと思う。


押し入れの中に電気スタンドを引き込み、枕元に文庫本を並べ、
携帯ラジオとipodを安置し、大好きなカルピスは常に切らさぬよう備蓄していた。
テント生活に毛が生えたようなものだったが、
何日か過ぎると慣れてくるもので、なんとかやっていけた。
「座って半畳、寝て一畳」という言葉の意味が理解できたと思う。



それよりも辛かったのがお酒を飲みに行く時だった。


仕事場もアパートも、街からは少し離れたところにあったので
お酒を飲みに行くときの交通手段は車だった。


車は一番若輩のわたしがいつも運転していた。
そう言う訳でわたしの飲み物はいつもウーロン茶だった。


わたしは、決してお酒は嫌いな方ではないが
「酒なくて、なんの己が桜かな」とかなんとか言う程の酒好きという訳ではないので
お酒が飲めないこと自体はそこまで辛いことではなかった。


ただ、周りの人間が泥酔している中、ひとりだけしらふというのは想像以上に厳しいものであった。
「わたしが酔っぱらっている時に、酒の席に参加している下戸の方からは自分はこのように自分が見えているのか」
と愕然としたことを覚えている。



だいたいの場合居酒屋のような場所で終わるのだが、2次会としてフィリピンパブに行ったことが一度だけある。
その時はお客さんも一緒だった。(つまりちいさな接待ですね)


フィリピンパブというところに行くのは初めてだったし、それだけでもこの体験はかなりの衝撃だったのだが
大きかったのはやはりこのときもわたしはお酒を一滴も呑んでおらず、しらふだったということだ。


わたしは(しらふなのに)フィリピーナに
「一番若いお前からなんか歌え」といわれ、
やけくそで、松山千春の『大空と大地の中で』を(しらふで)熱唱したら、
フィリピン人がみなちょっと困ったような顔をしていた覚えがある。
そこからもう開き直って、お客さんや上司が歌っている時に(しらふで)タンバリンをふりまわし、
(しらふで)適当なコーラスを入れたりもした。
「いきていくってたいへんだな」と思った。


私たちのお客さんが英語が話せるかただったので、
いつの間にか我々のテーブルの会話は英語になっていた。


フィリピーナがわたしの上司を指差し
「おまえとこの人はどういう関係なのか」というようなことを聞いてきたので


中学生程度の英語力で
「ヒーイズマイボスで、ヒーイズグッドマンかつピュアマンだ」
と心にもないことを言っておいたら、


そのフィリピーナは
「彼はさっきからしつこく私のおしりをさわってくる。間違ってもピュアマンではないであろう」
などと言うのであった。