おのしゅうのブログ

旧タイトル 注釈の多いオノマトペ

チェンジアップをもう一球  その2

野球をやったことのないわたしが投手を務めることになった第二試合の対戦相手は、
『もりのヒグマさん』(仮名)というような名前のチームでした。


チーム名が「チーム教育心理研究室」や「ソフトテニス部」などのわかりやすい名前なら、
「〜研究室には〜さんがいるな」とか「体育系の部活だから強そうだ」などという類推ができるのですが、
「もりのヒグマさん」というような奇をてらった名称では、
どこの誰がいるどんなチームなのかさっぱりわかりません。


そのため、「もりのヒグマさん」がどのようなチームか調査を行いました。
その結果、ある恐るべき事実が浮かび上がってきたのです。



「もりのヒグマさん」のチームリーダーは、
わたしと同じ2年生で野球部員の「K藤某」(仮名)らしいということがわかりました。
これはべつにどうでもいいことです。


「もりのヒグマさん」はK藤某君が中心となり野球部員7〜8名を含む
仲良し倶楽部らしいということもわかりました。
これも別にどうでもいいことです。
野球部員がそんなにたくさんいたら、我々の勝ち目は無いに等しいでしょうが
当初は勝敗はそんなに問題ではないと考えていました。


「もりのヒグマさん」にはオンナノコが5.6人入っていて、
男女で仲良くほんわか野球を楽しんで、試合ではオンナノコにいいとこを見せつけよう
というような魂胆が見える集団だ、ということもわかりました。
これも別にたいした問題ではありません。
わたしも大学入学当初は、
『高校生までの教室の端っこで暗くうつむいていたばかりの自分とはオサラバし、
 オンナノコとワーとかキャーとか騒いで、まかり間違えば彼女の1人や2人・・・。』
などという青雲の志を抱いてもいましたが、入学一週間でそのようなものは夢物語だったと理解できたのです。
そんなに簡単に人は変わることはできないのです。あきらめを学んだのです。
だから、そのような集団をみても羨ましいとか妬ましいなどの気持ちはそんなに出てきません。


わたしを凄まじく燃え上がらせた事実は、
上記の5.6人のオンナノコの中に、当時ひそかに淡い恋心を抱いていた「A子さん」(仮名)がいた、
ということです。


それを知った時、
「おのれK藤某!!なんと不埒な奴ばら!!!
 素人を相手に、専門分野である野球でオンナノコにいい格好をしようなどと言語道断!!!!!」
と「K藤某君」に一方的に憎悪の炎を向け、
「この試合に負ければ正義が滅びる」
「A子さん(仮名)の前でポカスカ打たれるぶざまな姿は見せられない」と、
闘志を燃やし、その様は後に『背中に紅蓮の炎が見えた』と評される程激しいものとなりました。


試合前日、我がチーム唯一の野球経験者であるY本さんに
・マウンドをザクザク掘ると本物感がでる。
・投げるまでの間隔を都度変えると間合いが取りにくい。
・頭を狙って危険球すれすれの球を投げ、外角で決めると良い。
・ここぞという場面では、投げながら大声をだし相手を怯ませる。
というあまり役に立たなさそうなアドバイスをもらい、
ついに試合当日の早朝5:30を向かえたのです。


グラウンドに少し遅れて到着した「もりのヒグマさん」は、
我々のポロポロこぼすキャッチボールや、ヘニャヘニャの素振りなどをながめ
「今日の試合は楽勝だね」などとへらへら笑っていました。
A子さん(仮名)もキャーキャー言っていました。
なんとしてもA子さん(仮名)にいいところを見せるのです。(敵だけど)


マウンドに上がったときのわたしの気合いの入りようは
扇の的を前にした那須与一もかくや、と思われる程のスサマジイものがありました。
頭のなかには『ロッキーのテーマ』が鳴り響いていました。
敵軍ベンチの(わたしの好きな)A子さん(仮名)がエイドリアンに見えました。(敵だけど)


で、結論から言うと、この試合は『7−0』で我がチームが勝利しました。


気合いが入りまくったへんなフォームから繰り出されるやたらと遅い球は
普段まともな野球をやっている野球部員には打ちにくいことこの上なかったようで、
わたしのひょろひょろのボールの前に敵チーム打線は完全に沈黙しました。


自軍の打線も、不貞腐れていたY本さんをはじめとして奇跡的な大爆発を見せました。
(もっともこれは相手が我々をなめすぎて、たいしたピッチャーをだしてこなかったということもありましたが)


最終回のピンチの場面で、代打に(わたしが好きだった)A子さん(仮名)が出てきた時は最大のヤマ場でした。
頭に血が上っているわたしは、手加減無しで内角をえぐるえげつない球を投げ、
三振でゲームセットとなりました。


A子さん(仮名)がものすごい顔でこちらをにらんでいましたが、
「完封」という事実に舞い上がっていたのであまり気になりませんでした。
後で考えてみると、本末転倒というか目的と手段を取り違えているというか、でしたが
もう8年前のことです。いまとなっては思い出です。



この第二試合に快勝したわれわれはそのまま勢いに乗るか、と思われたのですが
次の試合、飲み屋のマスターと常連で作られたチームの
『ひげ』(ベンチに一升瓶がおいてあり、三振や凡退するとコップ一杯飲むネタのようなチーム)
にまさかの敗戦を喫し、予選リーグ敗退が決まってしまいました。



その年のリーグ敗退は決まったものの、『野球の試合』を多いに楽しんだわたしは
来年も是非ピッチャーをやろうとキャッチボールに励むのでした。


しかし、わたしが二度とマウンドに立つことはなかったのです。


翌年わが「国語研究室」に名門野球部出身のバリバリのピッチャーをはじめ
はつらつとしたスポーツマンタイプのさわやかな1年生が多数入ってきてしまったからです。
そこにもうわたしの居場所はありませんでした。



以来8年間、まともな野球は殆どやっていないわたしですが
時折、あの春(ちなみに釧路の5月はかなり寒かった)を思い出し
野球バカのO本君とキャッチボールをしたりするのです。