おのしゅうのブログ

旧タイトル 注釈の多いオノマトペ

クマと食器セットとハンバーガー

先日、十数年ぶりに紙粘土をこね回す機会があり
親指程の「ハンバーガー」と小指程の「マグロのお寿司」を作りました。

技術的な巧拙はともかく、なかなかにお気に入りの作品となりました。


そのとき思ったのですが、どうやらわたしは『小さいもの』がとても好きなようなのです。
あらためて部屋の中を見渡してみれば、


ミニチュアの木彫りのクマ(網走の土産物屋で購入)


ミニチュアの食器セット その1(ドレスデンで購入)


ミニチュアの食器セット その2(ドレスデンで購入)


以上のような、
吹けばとぶような大きさの、
実生活には絶対に役に立たないであろうものがごろごろあるのです。
(あまりに恥ずかしいのでここに載せるのは自粛したのですが
        ちいさなスヌーピーの人形もいくつかあります)


なぜ「ちいさいもの」が好きなのか、考えてみると、
・大きいもの(本物)より価格が比較的安い
・かさばらない(わたしの部屋は狭い)
・ちいさいというだけで、なんとなくかわいい
といくつかの、もっともらしい理由は浮かんだのですが、
突き詰めて考えてみると、
『ちいさいものに囲まれることにより、
 器の小さい小物の自分を、相対的に大きく感じようとしている』
との恐ろしい結論に達してしまい、非常に暗い心持ちになってしまいました。


あまりこのようなツマラナイことをうだうだと考えるのは
精神衛生上よろしくないようです。


好きなひと、好きなもの、好きなこと、
『なぜ好きなのか』
と、考え込んだりもっともらしい理屈を並べたりするのではなく、
『好きだから、好きなのだ』
とはっきり言い切ってしまうことの潔さ。
それは決して「思考停止」とか「説明の放棄」などというものとは違うと思ったのです。