おのしゅうのブログ

旧タイトル 注釈の多いオノマトペ

気まずいふたり

通勤のため、毎朝決まった時間のバスに乗っている。
途中のバス停から、毎日決まってそのバスに乗り込んでくるオジサンがいる。


そのオジサンはまったくの他人なのだが
わたしが昔勤めていた会社の経理のK課長にちょっと似ている。


名前も知らないそのオジサンを、わたしは勝手に『K課長』と名付け、
オジサンがバスに乗ってくる度に、
「K課長、今日も乗ってきたな。」
「K課長、今日は寝癖がひどいな。」
「K課長、今日は上着がいつもと違う。寒いからな。」
などと静かに観察を行っていた。


つい先日のことである。
わたしの意識の中で、名も知らぬオジサンは既に『K課長』になってしまっていたのだ。


いつものようにバスに乗ってきたそのオジサン(K課長に似ている)に、
「おはようございます!!!」
と思わず挨拶をしてしまったのである。


思わず挨拶をしてしまったわたしも自分自身にびっくりしたのだが、
さらにびっくりしていたのはそのオジサン(K課長に似ている)だったようだ。
なにせいきなり、見ず知らずの変なあんちゃんにバスに乗ったとたんになぜか挨拶をされてしまったのだ。
「あぁうぅぅ」
などと声にならない声を曖昧にあげていた。


それから10数分、お互いの間に何とも言えない気まずい雰囲気が充満した。
ご承知のごとくバスの車内は狭い。どこかに逃げ出す訳にも行かない。
『いや実はあなたはわたしの昔の勤めの経理のK課長にそっくり・・・』
などと言い訳をしだしたら、さらに雰囲気は重くなってしまうだろう。


いっそのこと、次以降のバス停から乗ってくるお客さんすべてに
『おはようございます!!!!!!』
とにこやかに挨拶をして、誰にでも挨拶をするさわやかな人を演じようか、
との考えも頭をよぎった。


一瞬考えて、自分が迷走していることに気がついてそれは思いとどまった。
危ないところであった。



今日もわたしは、いつものようにそのバスに乗った。
オジサン(K課長に似ている)もまた、いつものように途中のバス停から乗ってきた。


少し顔を見合わせた後、何となくお互いに照れたように伏し目がちになってしまった。


『顔を見合わせた後、照れたように伏し目がちになる。』
なんだか甘酸っぱくキュンとするような文章だが、
実際にわたしの前に立っているのは黒髪の乙女、ではなく単なるオジサン(K課長に似ている)なのだ。
重く、暗く、陰鬱な状況なのだ。


そう考えるとなんだか怒りと悲しみが込み上げてきた。