はしご七福神 「後編」
「前編」はこちら(三ヶ月越しで後編です。期間だけは超大作)
「前編」のあらすじ
藤沢七福神を回り終えたわたしは
帰りの「片瀬江ノ島駅」でとあるパンフレットを発見してしまう。
これを発見してしまい、新しい考えが頭をもたげてきた。
それぞれの寺社でスタンプの台紙を持っている人をそこそこ見かけたことからも分かる通り、「藤沢七福神めぐり」をやっているひとはそれなりにいる。
そして、この「鎌倉七福神めぐり」をやっている人はもっといるだろう。
(神社仏閣は鎌倉の方がメジャーだし)
でもそんなにたくさんの人がお気軽に取り組んでいるような寺社めぐりで
『不幸がしがみついたような顔』といわれるわたしから疫病神がそう簡単に逃げていくとも思えない。
しかし、このふたつを制覇したらどうだろう。そこまでやる人はほとんどいないだろう。
そこまでやったらわたしの顔も『不幸』が「しがみついた」から「ひっかかった」ぐらいまでは軽減されるのではないか、と考えたのです。
だからわたしは鎌倉に行くことにした。(徒歩で)
名付けて『藤沢・鎌倉 はしご七福神』である。
藤沢七福神を制覇した翌日、平成23年1月10日
わたしは昨日のゴール地点である小田急片瀬江ノ島駅に降り立った。
(遅くとも午前中には出発しようと思っていたのだが、様々な理由で出発が午後三時頃になってしまった。
結果的にこの遅れが響いてくることになった。ヤバいなあとは思っていたが「まあいいか」と考えてしまった。
これがいわゆる見切り発車というものですね。)
はや日も傾き始めた海沿いの道を鎌倉を七福神を目指して歩いていく。
御霊神社 【祭神 鎌倉権五郎景政】
踏切のすぐ向こうに神社がある。
これはトコトコゆっくりはしる江の電だから「これも風情があるねえ」で済むけども
普通の電車だったら結構な問題になっちゃうんじゃないかというようなロケーションである。
『福禄寿』
ここの福禄寿は宝物庫の中であった。
大事にされている観はあったが、果たして彼は藤沢の福禄寿と比べてどっちがしあわせだろうかということもちょっと考えてしまった。
しあわせを与えてくれる神様の幸せをわたしが考えるというのも変な話かもしれないが。
●線路近い度 ★★★★★
●福禄寿箱入り度 ★★★
海光山長谷寺 【本尊 十一面観音】
メジャーなお寺で、一部のコアファンひとからは「イチゴのお守り」でも有名である。
ここでふたつ目にして痛恨の事態が発生した。もう閉まっていたのだ。
●いちごお守り度 ★★★
●寝坊イタイ度 ★★★★★★
「ま、まあ長谷寺は何回かきたことあるし…。」と自分に言い訳しながらとぼとぼと後にする。
妙厳山本覚寺 【釈迦三尊】
この寺は、「恵比寿」が全面に押し出されていた。
そもそもどこの寺社でも七福神は本尊などではないので
ここまでの七福神は悪い言い方で言えば「添え物」とか「間借り人」というイメージがあった。
ただここは違った。間借り人が完璧に母屋を乗っ取る勢いの提灯の乱立ぶりだった。
しかし、ここまで「えびす」「えびす」「えびす」「えびす」と来られると、
ちょっと『ヱビスビールあります』みたいである。
一度そう考えてしまうとその他の提灯も日本酒の銘柄みたいに見えてきてしまう。
それにしても「ヱビスビール」って本当にいい名前だと思う。
ジュロウジンビールとかあんまりおいしそうに聞こえない。
それとも単に慣れの問題で、
「ビールの銘柄は何に致しますか?」
「じゃあ僕はビシャモンテンで。」
などという会話ももしかしたらありなのかもしれない。
●恵比寿頑張ってる度 ★★★
●ヱビス飲みたい度 ★★★★★
叡昌山 妙隆寺
暗くなり始めてしまったのでサラッと通り過ぎてしまった。
●印象薄い度 ★★★
●通り道度 ★★★
(5)毘沙門天
金龍山 宝戒寺 【本尊 地蔵菩薩】
ここであたりがほぼ暗くなった。
寺は当然のごとく閉まっていた。
この寺の裏山で、北条高時と一族郎党870余名が自害したそうだ。
そんなところに暗くなってからきてしまった。自慢じゃないがわたしはこわがりなのだ。
●暗くて怖い度 ★★★★
●閉まった門が顔みたいでますます怖い度 ★★★★★★
ここでようやく鎌倉のフラッグシュラインとでも言うべき八幡宮に到着した。
このときあたりはすっかり暗くなっていたが、さすがというべきか正月の八幡宮はまだ賑わっていた。
弁財天社は闇に包まれていた。
源平池という池の中に島があり、その島に立っている。
江ノ島の弁天といい、八幡宮の弁天といい島好きなようだ。
ところで最初のパンフレットの画像をよく見ていただけると分かるのだが
「鎌倉七福神」も実は全部で八個ある。
これは実はこの「弁財天」がかぶっている為である。
これ自体は別にいいのだが(藤沢七福神も毘沙門天がふたつあった)
問題はそのもう一つが『江島神社』だということである。
前編をご覧になった方ならご承知のごとく、江島神社は「藤沢七福神」の一員でもある。
つまり藤沢市内の神社なのだ。
ただでさえ、
「藤沢ってなんもないよね、江ノ島くらいだよね。」とか
「江ノ島って藤沢なの?鎌倉だと思ってた。」とかいわれる藤沢市の貴重なシンボルなのだ。
その江島神社を「鎌倉江ノ島七福神」などとして鎌倉側に取り込もうとする鎌倉の姿勢をこの場を使って厳しく糾弾しておきたい。
閑話休題、もうあたりは一面闇である。
弁天島好き度 ★★★★
鎌倉陰謀度 ★★★★★
(7)布袋尊
八幡宮を後にし、北鎌倉駅方面に歩いていく。
浄智寺の入り口に着いたときはもうとっぷりと日は暮れていた。
だいたいこの辺りは街灯も少なく本当に暗い。
だから当然閉まっているだろうな、と思っていた。
ところが予想に反して門は開いている。
行ってみることにした。
それにしても暗い。真っ暗な上に階段もガタガタで転びそうで怖い。
それよりもなにか物の怪の類が出てきそうでもっと怖い。
だから山門までたどり着いて、そこが閉まっているのを発見したときはちょっと安心してしまった。
これ以上進んでいたら異界に行ってしまったかもしれない。
物理的に怖い度 ★★★★★
おばけ怖い度 ★★★★★★★★★★
北鎌倉駅に逃げるように駆け込み、はしご七福神の旅は終わった。
そしてこの文章を書いているのは、ここから半年以上たった九月なのだが、はたしてこの巡礼はどれほどのご利益があったのだろうか。
相変わらず周りのみなさんには「顔に不幸が染み付いている」とか「おのさんは本当にバカだねえ、デクノボーだねえ」などと言われることも多い。
しかし、わたし自身としては、今年は比較的心おだやかな毎日を送らせていただいているように思う。
この平凡な毎日を送ることができている点をご利益と考えたい。
それ以上に、いままで地味すぎていったこともなかったような地元のお寺や神社の魅力を再発見できたことが収穫だったように思う。
七福神は出自をたどると神道の神(恵比寿)がいたり、仏教の守護神(毘沙門天)がいたり、ヒンドゥー教の神(弁財天)がいたり、禅僧(布袋)がいたり、非常にバラエティーに富んでいた。
だからこそ巡った場所も、お寺あり神社ありの様々で巡りがいがあった。(七福神見れてないとこも多かったけど)
日本全国にはまだまだ隠れた『 〜 七福神』もあるようだ。
ちょっと足を延ばしてまた巡ってみるのもいいかもしれない。