おのしゅうのブログ

旧タイトル 注釈の多いオノマトペ

先日一緒に山に登ったI垣君から連絡がありました。


それによると前回の登山メンバーであったH田君(そもそもはわたしの高校山岳部時代からの友人)が
郡上にて腕の骨を折って入院したようです。
そしてまた、やはり我々の共通の知人であるH谷川君(もともとはH田君・I垣君の友人)が
マムシに噛まれて入院したそうです。


ここで思い返してみたのですが、わたしが4月の半ばにアキレス腱を切って以降
その惨劇の現場となった武道場では、それから数ヶ月の間に
「骨折」が2件、「熱中症」が1件と救急車沙汰の悲劇が相次いでいるのです。


どうもわたしの周りでよくないことが起こるのです。
もしかすると物の怪の類、もしくは怨霊かなにかの祟りかもしれません。



ここでひとつ大変に気がかりなことがあります。
わたしは今週末に、『第6回 リアル桃太郎電鉄』というビッグイベントに参加するのです。


「オカンダさん」という方とチームを組ませていただくのですが、
オカンダさん及び我がチーム(『ノー主張』といいます)に災厄が降り掛からないか今から心配でなりません。


リアル桃鉄中に、骨折したりマムシに噛まれたりするようなことは多分ないと思いますが
貧乏神Tシャツ(どこかのチームがゴールに到着したとき、目的地から遠い3チームが着なくてはならない)
を着るはめになる、というのは多いにあり得る話です。

(注 写真はわたしの割当のTシャツです。これでわりとマシな方なんです。YUさん製作)


なにせわたしは怨霊に取り憑かれているのです。
貧乏神に特に目をかけられても何ら不思議ではありません。


そしてさらに恐ろしいことがあります。
総合成績が最下位のチームは凄まじい罰ゲームをこなさなければならないのです。

(2008年 罰ゲームの様子)
考え方によっては毒蛇よりも怖いといえるのではないでしょうか。


本当は当日まで物忌でもしたいところですが、わたしも社会人の端くれ故そうも言っていられません。
後3日、震えて待ちます。

復帰戦 丹沢塔の岳

一週間程前に、丹沢の塔の岳という山に登ってきました。
アキレス腱断裂後の発の登山です。


メンバーは、
わたし(足に不安を残す)
H田君(わたしの高校山岳部時代の友人 「三ヶ月前の進水式」「釧路川リベンジ」に登場)
I垣君(H田君の大学探検部時代の友人 上記に加え、「雨の多摩川紀行」においてもその活躍ぶりが確認できる)
の三人です。


もともとは、せっかくの夏休み期間ということで、
谷川岳(新潟・群馬 1,977m)に行こう」とか
八ヶ岳(長野・山梨 2,899m)を縦走しよう」とか
「いやいや、槍(長野・岐阜 3,180m)から大キレットを越えて穂高(長野・岐阜 3,190m)まで・・・」
などの計画も出たのですが、足がまだ完治していないわたしを気遣っていただき、ずいぶんと計画を小さくして、
「丹沢の塔の岳(神奈川 1.491m)日帰り」という所謂、安・近・短のプランになりました。


「ハワイ旅行7泊8日の旅」が『野毛山動物園日帰り』になっちゃったぐらいの規模縮小です。仕分け人もびっくりです。
しかし、『野毛山動物園』が『ハワイ』に比べて確かに劣っていると誰が言い切れるでしょうか。
お手軽である、ということは否定できませんが
野毛山動物園」には「野毛山動物園」の、「塔の岳」には「塔の岳」の、
それぞれ他に代えがたい魅力があるのではないかとおもいます。
そしてこのことは、山や旅行先に限らないはなしではないでしょうか。


前置きが長くなってしまいましたが、登り口の「大倉」というところです。

ムダに立派な吊り橋が架かっています。


林道(砂利の道。車も頑張れば通れないこともない。)をダラダラと歩いていきます。
この日、私とH田君はひどい二日酔いで(前日二人でかなり飲んだ、そしてH田君は朝から駅で吐いていた)
またI垣君は仕事上の深い悩みを抱えているらしく、表情が冴えません。
我々は好きで山に登っているはずなので、一応これはレジャーということになるはずです。
しかし、各々の表情はどれも「レジャー」とはほど遠く、まるで修行に向かう山法師のようです。


林道の終点近くに水場がありました。

ここで喉を潤し、やや気力が戻ってきました。


その水場のそばにこのようなカンバンがありました。

【この水は滅菌処理を施してはいません。飲料用として利用する場合には、沸騰させて(後略)】
われわれはもうここの水をしこたま飲んだ後です。


水場を過ぎ、歩きやすかった林道もいよいよ終わり本格的な山道に入ります。
今回のルートは最初に林道(高低差があまりなく歩きやすい)歩きが長いかわりに
後からまとめて、距離的には短いものの激しい急な登山道を詰めなければならないのです。
始めに楽をすると後に必ず苦労をしなければならない、人生の教訓のような行程なのでした。


どうしようもないので、むっつりと押し黙って登っていきます。
シカがいました。

ひとの姿をみても、驚いたり逃げ出そうとしたりする様子がありません。
近所の野良猫状態です。
そういえば登り口のあたりに、蝶がたくさんとんでいました。
「これはもしや山頂にはイノシシがいるのでは」
と口にしてみましたが、二人には黙殺されてしまいました。


歩き始め4時間程でようやく開けた尾根に出ました。
「花立山荘」という山小屋があります。

ここでH田君が「かき氷じゃんけん」を持ちかけてきました。
この花立山荘のかき氷(400円)を、じゃんけんで負けたものが三人分おごるというような話です。

勝負はあっさりと決まり、H田君が三人分支払うはめになりました。
これで彼は、二日酔い・急登での疲労・自ら提案した勝負での敗北、という三重苦を背負うことになりました。
苦しいでしょうがそれも人生というものなのでしょう。


ここから山頂まで、後一時間程です。

本来この山は展望がすばらしく、晴れていれば富士山や南アルプス相模湾まで眺めることができるはずなのです。
ところがこの日は登るにつれ、霧が濃くなっていき(登山用語でガスってるといいます)
山頂付近は辺り一面真っ白でした。


歩き始めから5時間でようやく山頂に到着しました。
やはり周りは真っ白です。


ここにもシカがいました。

山頂はそれなりのひとで賑わっているのですが、やはりこのシカも逃げたりする様子はありません。
超然としています。


お昼をとってから帰途につきました。
出発地点のバス停についた頃には、もうあたりは薄暗くなっていました。


今回はもともと、お気楽ハイキングのつもりだったのです。
しかしながら、結果的には想定以上に時間がかかり、そして三人とも疲労困憊でした。
これで、「20kg以上の荷物を抱えて4泊5日北アルプス縦断」などを強行していたらどうなっていたでしょうか。
考えるだけで恐ろしいものがあります。


『敵を知り己を知らば百戦危うからず』といいますが、
「己を知る」というのはなかなか難しいものがあるようです。
特に、
「昔はこれぐらいやってたんだから大丈夫だよ」
と以前と同じような感覚で久々の運動を行うことほど危ういものはありません。


それは、アキレス腱を切るはめになってしまうという大いなる危険性を孕んでいるのです。

トナカイはどこだ

気がついたらもう七月も半ばになっていました。


先日(というか結構前。まだギプスと片方の松葉杖がとれていなかった頃)
無印良品で「体にフィットするソファ」というものを買いました。


こんなのです。

(前述のごとくまだ足のケガが完治していなかった頃の話のため)
左足に「ギプス」右脇の下に「松葉杖」で『無印良品』に赴きました。
そのまま持ち帰るつもりで行ったのですが、それは想像以上に巨大でした。


結果として、
左足「ギプス」
右脇「松葉杖」
左肩「巨大な袋」
というような出で立ちで帰るはめになってしまいました。


その姿はまるで季節外れのサンタクロース(足にギプスをはめている)のようでした。
もしくは夜逃げ(昼間でしたが)(松葉杖を持ってもいましたが)のようでもありました。


それでなくとも、ヨチヨチ歩きしかできないのに(ケガのため)
巨大な荷物を背負った為にさらにヨタヨタした歩みになってしまいました。
その格好での我が家までの道のりはとても辛いものでした。


あとから考えてみれば、素直に配達を頼めばよかったのです。
しかし、そこで「易きに流れる」というのはいかがなものかなとも考えるのです。


たとえ、それが決して合理的でないと自分でも理解できていたとしても、
「初志の貫徹」や「男の意地」や「配送料もったいない」
などを貫き通さなければならない場面は絶対にあると思うのです。



  注1)7月15日現在では、足のケガは快方に向かっております。
     走ったり、山にのぼったり、カヌーに乗ったりはまだ少し厳しいですが、
     日常生活を送る上でほぼ不便はありません。
     ご心配くださったみなさま、ありがとうございました。


  注2)長らくブログの更新が滞っていました。
     6月の職場復帰以来、何となく気持ちの面で忙しいような気がしていて
     ゆっくりブログを書こうというような余裕がありませんでした。
     しかし、あらためて振り返ってみると、
     「気持ちが焦ってるだけで、本当はたいして忙しい訳でもなかった」ということに気がつきました。
     また、ちょこちょこやっていきます。よろしくお願い致します。

暗い嵐の夜だった

アキレス腱が切れてから一ヶ月半ほどが過ぎ、
ギプスはまだ外れないもののなんとか歩けるようになっている。


左足のギプスの上に、ヒールと呼ばれるものが付き以下のような状態になっている。

(ボコッと出っ張っているのが「ヒール」の部分です)
はなはだ安定は悪いものの、左足をまったく地面につけてはいけなかった時代から比べると格段の進化である。


まだまだよちよち歩きだが、やはり自分の足で歩くというのはすばらしく気分がいい。
これまでは「歩く」という動作を過小評価していたかもしれない。
いまでは「足っていいな」と、すっかり『崖の上のポニョ』のような心境である。



この「ヒール以前」の時代は、なかなか外に出かけるのもままならなかった。
家にこもっているといろいろな欲求が溜まりがちだった。
(例 「外食がしたい」「酒が飲みたい」「温泉につかりたい」「山歩きがしたい」「川下りがしたい」等)
どれも現実的には難しいので、物欲で昇華させることにした。


出歩いてのお買い物というのは難しいのだが、幸い今の時代は「インターネットを通じてお買い物」という便利なことができる。
そこで以前から欲しかった『スヌーピーのネクタイ』を買うことにした。


オークション等で「あれも欲しいこれもかわいい」などとやっていたらいつの間にか8本にもなっていた。
どうもこのような買い物の仕方は、お金を使っているという感覚が希薄になるのかもしれない。
目についたものを全部買ってしまっていたのだ。


  自分でお金を出して買った品物であるはずなのに
  商品を待っている間は、なぜか人から贈り物を送ってもらうような心持ちになってしまう。


と、いうようなことを東海林さだおが「ツーハン日記」かなにかのタイトルで書いていたような気がする。
その気持ちがよく分かった。




ネクタイはすべてすばらしくカワイイものであった。


果たして8本も必要なのか、こんなものを締めて仕事をしていいのだろうか、
「無駄遣い」という批判を浴びるかもしれない、という若干の後悔も残った。
もしわたしが独立行政法人の人間ならば「事業仕分け」でつっこまれる部分かもしれない。


しかし、わたしは独立行政法人に関係はないし、なによりもう買っちゃたのだから仕方がない。


いよいよ来週から職場復帰である。
堂々とスヌーピーのネクタイを締めて粛々と仕事をこなそうと、いま決意を新たにしている。
(ただ、あんまりふざけていると見られても困るので復帰初日だけは普通のネクタイにしようかなとも思っている)

そこに階段があるから(Because it is there.)

アキレス腱断裂という災難に見舞われた我が左足は相変わらずギプスで固定されている。
退院後一週間を過ぎたいまでも、松葉杖での生活を余儀なくされている。


そのためわたしの移動可能距離は、500mそこそこになってしまっている。
電車や車(左足の怪我のため運転可能)を使えばそれなりに遠くまでは行けるが
やはり駅や駐車場から500m程度移動すると疲労困憊である。
不便なことこの上ない。


それでも、松葉杖の使い方はここのところそれなりに上達してきた。
もともと松葉杖の使い方のスジがなかなか良かったようで、理学療法士の方から
「はじめてとは思えない程、松葉杖の使い方上手ですね。」
とのお言葉を頂く程であったのだ。
この「松葉杖での歩き方」のスキルが後の人生にあまり役に立たなさそうということは、実に残念である。
というよりも、すぐにまたこのスキルが役に立つようでは困る。
そんなことになったら今度こそクビになっちゃうかもしれない。


入院中を思い返してみれば、看護士さんにも、
「血管が太くて点滴の針が刺しやすいですね、いい血管です。」
と、お褒めも頂いた。わたしが他人にほめられるのはそんなんばっかりなのだ。実に残念である。


そんなわけで、昨日退院後はじめての外来に行ってきた。
抜糸の為だ。


病院へは車で向かった。
その病院の駐車場は、1F、2F、RFの三層仕立てになっている。
できれば1Fに停めたかったのだが、果たして1Fは満車であった。
やむなく車は2Fに停めた。


『徒歩で町田駅から城ヶ島へ』もかなりの大冒険だったが、
『松葉杖で駐車場(2F)から(1Fへ下りて、横断歩道を渡り、総合窓口を抜け)外来診察窓口(2F)へ』
もそれなりの冒険であった。


病院内の、総合窓口(1F)と整形外科の外来窓口(2F)間の上下移動は、エレベーターが設置されているのでなんということはない。
問題は、駐車場内の『1F』と『2F』との移動だった。
そこにはエレベーターなどの文明の利器はなく、古ぼけた投げやりな作りの階段があるのみなのだ。
その階段はやや傾いでいるうえ金属製なので松葉杖がすべりやすいことこの上ない。


診察後、1Fから2Fに上る際はまさに『恐怖の1分30秒間』であった。
松葉杖での階段移動は下りよりも上りが怖い。
下りで足を滑らせても足から滑り落ちていくだけだが、上りの際にひっくり返るとエラいことになる。
そんなことになったらたんこぶ程度では済むまい。


一度階段の真ん中あたりで、グラリと来てしまった時には彼岸が見えた。
もしそのままひっくり返っていたら、また入院することになっていたかもしれない。
「まあケガをしてもここは病院だから安心か、あははは」などと言ってる余裕はなかった。
今度こそクビになっちゃうかもしれなかった。


とにかく、無事に帰って来れてよかった。

二週間の休暇

左足にちょっとしたケガをしてしまい、昨日まで入院していました。
5月末まで松葉杖を手放すことができないようです。


入院は10日間弱でした。
手術日とその翌日こそ、痛みで悶え苦しんでいましたが
そのうちに痛みもおさまってきて、ヒマを持て余すようになってきてしまいました。


暇つぶしのため、本を持ってきていました。
とにかく再読に耐えうるもの、という条件で厳選した結果
以下の2点が選ばれました。


・『雨月物語』 上田秋成
(近世の作品で九編の短編から成る。日本文学史を通じてもっとも優れた怪異小説とも言われる)


東海林さだお自選『ショージ君の旅行鞄』 東海林さだお
東海林さだお旅行記の自選集。海外旅行から近所の散歩まで50編以上を収録)


本当は入院日数×2冊程度(20冊弱になりますね)持っていきたかったのですが、
なにぶん松葉杖での移動のため、あまり重い荷物を持つことができなかったのです。


そのため厳しい選考の上選んだ二冊でした。
しかし後から振り返ってみると、両者ともあまり入院生活にふさわしい本ではなかったのでした。


雨月物語』は乱暴に言ってしまえば、「江戸時代のオカルト物語」です。
崇徳院の怨霊が・・・」「関白秀次の亡霊が・・・」
等々のおどろおどろしい文章を読んでいると、どんどん暗い気持ちになってしまいました。
ただでさえ病院の生活は気がめいるものですが、輪をかけて陰気な気分になってきてしまいました。


それに対し『ショージ君の旅行鞄』は気楽な文章です。
海外旅行から駅弁の考察まで、テンポよく、気持ちよく、楽しく何度でも繰り返し読むことが出来ます。
ただ、「食べ物」に関する表現力にものすごいものがあり、
それを読んでいると「あれもたべたいこれもたべたい」というような欲求がわきおこってしまうのです。
しかしいくら「カツ丼が食べたい」「ラーメンが食べたい」「鮟鱇のドブ汁が食べたい」
と思ってしまっても、そこは病院なのです。
目の前に広がるのは、カロリー計算がしっかりされた、なんだか味の薄い、必要以上にやわらかい、病院食なのです。
ただでさえ病院の生活は食べ物への欲求が高まるものですが、輪をかけて狂おしいような気分になってしまいました。


というわけであまり本に頼る訳にもいかず、
頑張って新聞を2時間かけて読む、半年ぶりくらいにテレビを見る、つまらない書き物をする
などの過ごし方でなんとか九日間を乗り切りました。


携帯電話をいじって時間つぶしが出来れば良かったのですが、パケット定額制にしていないのでそれが出来ませんでした。
厳密に言えば、絶対にできないということはないのですが翌月の請求が恐ろしいことになってしまいます。
こんなことなら早めにiphoneにでもかえておけばよかったです。
そのような後悔はいまさら遅いのです。



ところで、同じ病室のとなりのベッドが若い男(学生?)だったのですが、
そこに毎日のようにオンナノコがお見舞いにきていたのです。
「はやくよくなってね」「退院したらネズミの王国に行こうよ」
とかもう実に聞くに堪えないくだらない話をいつもしていたのでした。
それを見て、怒りとやるせなさと妬ましさで毎日2時間程イライラしてしまっていたのですが。
いまになって考えてみると、
「毎日2時間時間つぶしをさせてもらっていたからよかったかな」
と思えるのです。


本当にそうおもうのです。

気まずいふたり

通勤のため、毎朝決まった時間のバスに乗っている。
途中のバス停から、毎日決まってそのバスに乗り込んでくるオジサンがいる。


そのオジサンはまったくの他人なのだが
わたしが昔勤めていた会社の経理のK課長にちょっと似ている。


名前も知らないそのオジサンを、わたしは勝手に『K課長』と名付け、
オジサンがバスに乗ってくる度に、
「K課長、今日も乗ってきたな。」
「K課長、今日は寝癖がひどいな。」
「K課長、今日は上着がいつもと違う。寒いからな。」
などと静かに観察を行っていた。


つい先日のことである。
わたしの意識の中で、名も知らぬオジサンは既に『K課長』になってしまっていたのだ。


いつものようにバスに乗ってきたそのオジサン(K課長に似ている)に、
「おはようございます!!!」
と思わず挨拶をしてしまったのである。


思わず挨拶をしてしまったわたしも自分自身にびっくりしたのだが、
さらにびっくりしていたのはそのオジサン(K課長に似ている)だったようだ。
なにせいきなり、見ず知らずの変なあんちゃんにバスに乗ったとたんになぜか挨拶をされてしまったのだ。
「あぁうぅぅ」
などと声にならない声を曖昧にあげていた。


それから10数分、お互いの間に何とも言えない気まずい雰囲気が充満した。
ご承知のごとくバスの車内は狭い。どこかに逃げ出す訳にも行かない。
『いや実はあなたはわたしの昔の勤めの経理のK課長にそっくり・・・』
などと言い訳をしだしたら、さらに雰囲気は重くなってしまうだろう。


いっそのこと、次以降のバス停から乗ってくるお客さんすべてに
『おはようございます!!!!!!』
とにこやかに挨拶をして、誰にでも挨拶をするさわやかな人を演じようか、
との考えも頭をよぎった。


一瞬考えて、自分が迷走していることに気がついてそれは思いとどまった。
危ないところであった。



今日もわたしは、いつものようにそのバスに乗った。
オジサン(K課長に似ている)もまた、いつものように途中のバス停から乗ってきた。


少し顔を見合わせた後、何となくお互いに照れたように伏し目がちになってしまった。


『顔を見合わせた後、照れたように伏し目がちになる。』
なんだか甘酸っぱくキュンとするような文章だが、
実際にわたしの前に立っているのは黒髪の乙女、ではなく単なるオジサン(K課長に似ている)なのだ。
重く、暗く、陰鬱な状況なのだ。


そう考えるとなんだか怒りと悲しみが込み上げてきた。